代表浅見がstand.fmで音声配信を行っています
このチャンネルでは
パラリアを経営しながら、大学院で自習の研究も行っている代表の浅見が
大学受験を控えた高校生・浪人生と
そのお母様お父様に向けて
受験に関する情報をお伝えしていきます
今回は志望大学を決める際に考えることについて
お母様お父様向けにお伝えします
intersubjective:間主観
intersubjectiveというと
なかなか聞き慣れない単語かなと思います
人対人のやりとり
特にサービスというべきですかね
こういう設計のサービスが
私は大好きなんですよね
日本語でいうと
「間主観」とか「間主観性」
といいます
間主観ってなんだって感じかと思いますが
漢字にすると少しわかります
主観と客観の間と言われています
だから間の主観で間主観
ですね
主観と客観の間なので
主観ではありません
また
誰が見ても同じ
という客観でもありません
ではなにかというと
今目の前でお話している相手と
自分との間で成立している客観性
ちょっと難しく聞こえるかもしれませんが
自分と相手の間で共有されているもの
でも外から見たらわからないものですね
簡単にいうと
相手に合わせて言動を変えるような場面を
想像してもらえると良いかなと思います
ただ、相手の話をよく聞いて
受け入れる、とか
コーチングの文脈で出てくるような話とは
近いようで全く違います
自分と相手の二人が共に創る価値のことを指します
共創価値とも言われますが
これがサービスの価値なんだという話ですね
回らない高級鮨屋の例
私が好きな事例で
私の担当の教授から教えてもらった話なのですが
大元は京大の山内教授の著書のテーマになっているものです
回らない高級寿司屋の寿司職人さんと
お客さんのやりとりの話があります
回らないお寿司屋さんは
メニューもなかったり
金額もなかったりしますよね
そんな中で、大将が来て
話しかけられるんですけど
こわいところだと
「お飲み物はどうしましょうか?」
って最初に聞かれたりします
そこで、高級回転寿司屋の経験がない人
この界隈のことをよくわかっていない人は
大将がこわいので
ヘラヘラして低姿勢で答えてしまうんですよね
暑いからビールにしようかなーみたいな
大将はなんて答えるかというと
「ビールいきましょうか」
って答えるんですね
お客さんは大将の反応を見ているんですよね
ここでいきなりビール頼んでもいいのかなーみたいな
大将のこの「いきましょう」は
お客さんを認めているわけですよね
英語でいうと、Let’sなんですよね
これは「かしこまりました」ではなくて
大将の意志を乗せているんですよね
慣れているお客さんだと
「ビール」みたいな感じで
全然動じないんですよね
当然だと思っているので
それを大将は見て
「あ、このお客さん、慣れてるな」って
思うんですよね
飲み物の後は
「何かお切りしますか」と聞かれます
なんて答えればいいかわかりますか?
慣れていない人は
「お願いします」
とか言っちゃうんですよね
そうすると大将は
「何がいいですか?」とか
「イカとか」って
アドバイスしてくれたりするわけですね
これはつまり
大将がお客さんを
テストしているんですよね
お客様に喜んでもらおう
とは逆の構造です
知っているお客さんは
鮨屋のセオリーにならって
味が薄いものから注文したりします
すると大将は
そのセオリーを無視した提案をしたりします
まさにこれがintersubjectiveなサービスで
大将とお客さんのレベルの見せあいなんですよね
俺はこんなにレベルが高いんだぞ
みたいな感じです
お互いのレベルを確認しながら
尊重しながら
相手のレベルの少し上をサービスを提供する
お客さんは
普段の自分より少し背伸びをする
このお客さんの背伸び経験こそが
共創価値
サービス提供側とお客さんの間で生まれる価値です
「このレベルの高い大将に認められた」
これがお客さんは楽しいわけです
共創価値は、サービス提供者とお客さん双方の姿勢が必要です
このお互いのレベルというのは
直接話した当事者同士の中でのみ客観性があり
そのやりとりを外から観察しても
わからない部分が出てきます
これは
サービスの提供側だけではできません
お客さんを選びます
だから高級鮨屋の大将は妥協しないわけです
大将が妥協してしまうこと自体
高級鮨屋というサービスの価値が
下がっていってしまうからです
サービスの提供者とお客さんの関係において
お互いがお互いをまず判断すること
片方だけではだめです
判断して
お互いのレベルの高さを認め合って
そのレベルの高さなら
ここまでついてこいよ
みたいな会話の展開こそが
まさにintersubjectiveです
サービス自体が簡単だと、お客さんのレベルも上がらない
これはサービスの提供者側だけの意識では成立しません
サービスのシステムが単純過ぎてもだめです
だから回らない高級鮨屋は
メニューがなかったり
達筆過ぎて読めなかったりして
わかりにくいサービスでこそ成立します
お客さんを
プロと素人に分けるものは
サービスの複雑さです
誰でも簡単に使えたら
プロのお客さんは生まれません
相手に合わせて話すコーチングとは
真逆のスタイルです
そのサービスについては
サービス提供者が一番レベルが高いので
お客さんがサービス提供者の影響を受けて
背伸びしようとすることがintersubjectiveです
受験勉強でいうと
偏差値65を超えてきた学生に関しては
私とのやりとりがintersubjectiveになる
可能性があります
主に問題集や過去問の回答について
模範解答とは違うやり方で解いた場合や
もしこうだったら
という仮定のディスカッション
こういった質問は、ある意味
その問題集に対する挑戦
ひいてはその科目や受験に対する挑戦
そしてそれはつまり
塾長の私への挑戦なのです
これをその生徒のこれまでの学習内容から判断して
涼しい顔をしながら
少し上のレベルの話をして
それに対して生徒がついてこようとするか
いや、ただ受け入れるだけではなく
その工夫はすでにやっています
みたいな展開だと熱いですね
これをサービスとして堂々と提供する
というのが私が好きなintersubjective
間主観という概念です
これ私楽しくお話させていただきましたが
私が気がついた
とかではないのでご注意ください
intersubjectiveをもう少し広く
サービスとは
という文脈なのですが
もっと知りたいという方は
京大の山内教授の「闘争としてのサービス」という本が該当する本なので
興味が湧いた方は読んでみてください
実際の生徒指導の様子は、インスタライブで発信しておりますので
よかったらそちらも観ていただけたら嬉しいです
過去のライブを再編集したものです